疲れた、と思うことはよくあること。
単純に肉体をたくさん使って、疲れる。
いろいろ気がかりなことがあって、疲れる。
気遣いのあまり、疲れる。
人間関係で、疲れる。
など、いろいろある。
特別の原因が思い当たらないのに、疲れている、
というのもある。
今日のわたしは、最後の、「原因が思い当たらないけれど、疲れている」だ。
以前、わたしは、「疲れた~」が口癖で、朝起きて「疲れた~」
着替えながら「疲れた~」、外でイスに座ると「疲れた~」。。。
なおったのは、わたしと同じように、いつも疲れた、疲れた、と言っている人に、会ってから。
「人の振り見て我が振り直せ」とはよく言ったものです。
わたしの『疲れた病』は、治りましたが、そのあと興味深いことを本で読みました。
「疲れた」と言葉をいうと、脳のなかで、疲労物質が「ドーと」出てくるというのです。
そのため、脳は、一層疲れたと認識してしまうそう。
2017年に亡くなられた日野原重明先生も、本のなかで、
「疲労というものは、実は「疲労感」が作っている、と思っています。
中略… 気持ちのほうが疲れを知らず、充実していれば、当人に疲労感はないものです。」(続・生き方上手より)
疲れの感じ方は、どう現状を感じているかによって、違ってくるみたいなのです。
確かに、そう思います。
しかし、「気の持ちよう」だけでは、元気になれないこともあります。
「脳が疲れる」と、疲れた、と思うらしいのです。
ストレスや、睡眠不足など原因はいろいろあって、自律神経のバランスが狂って、「脳も疲れる」らしい。
そういう時は、休むのが一番。
最近、zoom(ズーム)をパソコンに入れるやら、新しいことが目白押しで、脳の中がパニックになっているかも。
脳を休めるには、リラックスすること。
明日、興味があった、ラテン音楽、それも、キューバンミュージック(キューバのラテン音楽)を聴いてみようかな。
楽しいことを考えるのもいい。
笑う、も身体にいい、とよく言われる。
笑うことって、自分のこころに余裕がないと、なかなか出来ません。
大変な時にはなおさら…。
でも、日野原重明先生は、こうおしゃっています。
「 にもかかわらず、笑うこと」
ユーモアをもって、どんな時にも笑うことで、おおらかな余裕が出てくるのだそうです。
『日々是精進』
歳とるとともに、そう感じます。
明日は、雨の予報。
雨音をききながら、ラテン音楽というのも
楽しいかも♪
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