テレビが「オワコン」(終わったコンテンツ)と言われて久しい。
たしかに、30年前のように、子供からお年寄りまで家族揃ってテレビを見ることがなくなった。
うちを見てもよくわかる。
息子二人は、テレビを見ない。
その代わり、各部屋にある自分のパソコンの前にすわって、インターネットで配信されたものを見たり、ゲームをしたり、友達とおしゃべりしている。
そういう生活の変化のせいか、この数年のテレビ番組ー 特に歌番組は、シニア以上の年齢をターゲットにしてるとしか思えない内容のものが多い。(昭和の懐メロとか)
若い人が見ない、というのは深刻なことで、今までのテレビの役割が変わる時期に来ているのは間違いない。
ただ簡単に「テレビはオワコン」と言い切れないな、と思うことがある。
それは、思わず引き込まれてしまう番組があるからだ。
どんな番組かというと、ドキュメンタリーものの、「未知の世界」を見せてくれるもの。
これだけ生きていても、世の中の様々なことを見たり、経験できるわけがなく、ホントに知らないことばかりだと、この手の番組を見るとしみじみ思う。
有名なものでは、NHKの『プロフェッショナル』。
こんな仕事があるのか。こんな風にやってきたのか。こんな苦労があったのか… とか驚くことばかりで勉強になる。
その他にも、わたしが、好きなドキュメンタリー番組がいくつかある。
テレビは、居間など簡単に見れる場所に置いてあり、意気込んで見るというものではない。
インターネット上には、知りたい情報がある、と言われているが、自分から探しに行かなくてはならず、手間も時間もかかる。
その点、テレビは気楽。
思わず引き込まれて見てしまう番組があると、テレビもまだ捨てたものではないな、と思うのだ。
わたしにとって、『未知の世界』を見せてくれるテレビ番組とは...
最近、再放送も多く、人気番組の『空港ピアノ』。
同じシリーズで『駅ピアノ』もある。
空港のロビーに置いてある、誰でも自由に弾けるピアノ。
そのピアノを弾く人たちが、映像と簡単なインタビューで、描かれている。
老若男女、様々な職業の人が、ピアノを演奏する。
音楽教育を受けた上手な人から、ピアノが弾きたくて自己流で弾く人まで、弾くレベルもいろいろ。
でも、そこに流れる、音楽を愛する心、そしてその人の人生のなかでピアノのがどんな位置を占めているのかが、にじみ出ていて、感動する。
昔は、あまり関心がなかった分野の番組も、最近ファンになった。
『グレートレース』。あえて過酷なレースに挑み、格闘する人たちを描いたドキュメンタリーだ。
この番組で紹介されているのは、有名な登山とかオリンピックのような競技ではなく、
よりによって、なんでそんなことを、苦しい思いをしてやるのか、といえるレースの模様を描いている。
先日、再放送でやっていた、『香港ウルトラ298㎞ 超難関!突破率8%の壁に挑め!』
総距離298キロを昼夜なく走り、60時間の制限時間内にゴールするというレースで、登ることになる標高は、エベレストをはるかに超える14500m。
香港には、そんなに高い山がないのに、どうするのかと見ていたら、
低い山を登っては下り、を繰り返し、移動は、フェリーや地下鉄を使うという変わったレース。
「過酷」といわれるレースだけあって、フィニッシュ出来るのは、8%だという。
参加する選手は、この日のために厳しい訓練を重ねてきているのだ。
何の役にもたたず、自己満足と言われるだろうが、
わたしは、過酷なのに、レースを一生懸命にやっている姿が、
心惹かれるのである。
もう一つは、やはりドキュメンタリー番組といっていいだろう。
『やまと尼寺精進日記』
奈良県桜井市の山の中にある尼寺・音羽山観音寺の日々の暮らしと、そこで作られる精進料理を紹介する番組だ。
今現在、こういう人々がいて、おいしそうな精進料理を作っているのを知ったこと自体、驚きだった。
尼寺に暮らす、尼さん二人とお手伝いの女性が、
自然のなかで、昔ながらの行事に合わせて、精進料理を作りながら、素朴に生活している様子が見られて、
「こころの幅が広がる」ような気持ちになる。
テレビは、好き嫌いがある限り仕方ないのだろうが、どこでもやっているような内容でウンザリするような番組もある。
だけど、その中で光っているのは、丁寧に作られたドキュメンタリー番組だと思う。
きっかけがなければ、自分から見に行くことはない、未知の世界を知ることで、得るものがあり、満足感がある。
のぞき見とは違う、良質なドキュメンタリー番組は、オワコンになりえない。
そういえば、「オワコン」とは、
「ユーザーに飽きられてしまい、ブームが去って流行遅れになった」こと、を意味するインターネットのスラングで、2010年ころから使われるようになった。
もともとは、マンガやアニメに対してファンが使っていた言葉が、インターネット上で広まったといわれる。
「完全に終わったコンテンツ」に使われることはなく、
「終わりそうなコンテンツ」や、「時代に合わないコンテンツ」という意味でよく使われるそうだ。
人も物もコンテンツも、「オワコン」にならないよう、努力していきたいものです。
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