2017年の夏、アメリカの女性誌『アルーア(allure)』の編集長が、
「アンチエイジングという言葉は、もう使わない」とウェブサイトで宣言しました。
これは、年齢を重ねることを否定的にとらえる、アメリカの風潮や美容業界のありかたに、一石を投じました。
編集長のミッシェル・リーは、『アンチエイジング』という言葉の中に、
「加齢と戦わなくてはならないもの」というメッセージを助長している、と指摘。
そして、会話から変えていきましょう、と提案してます。
「彼女は年の割にはきれいに見える。」ではなく、
「彼女は素敵だ。」と言ってみて欲しい、と。
今、日本では、テレビでも特集するぐらい、アンチエイジングがブームになってますね。
わたしも、若く見られたい、年とっても魅力ある人でありたい、と願って、アンチエイジングのために、良いものを取り入れてきました。
先ほどのアメリカの編集長のコメントは、当時、知らなかったのですが、
売れている媒体の編集長があえて宣言したことに、考えさせられました。
よく言われていることですが、アメリカで流行ったものは、20年後に日本で流行る。
そうすると、日本でも将来「アンチエイジングを考えるのはおかしいのではないか」という感じになっていくかも知れません。
そもそもアンチエイジングとは、何なんでしょうか。
年のわりには、若く見える。
年のわりには、スタイルがよく、元気だ。
とても、〇歳とは思えない。(外見だけではなく、頭の中も)
になりたいために、いろいろやってみることですよね。
その背景には、若いことは素晴らしい、という暗黙の了解みたいなものがあるんですね。
その価値観をアメリカの編集長は、変えたいとメッセージを出したわけです。
アメリカでその後、価値観が変わったかは、わかりません。
日本では、芸能人などが、整形したり、美容のありとあらゆる手段を使って、とても外見がその歳には見えない、という人がいます。
でも、人に夢を与えるという職業がら、きれいで若くいる、ということが、仕事のようなところがあります。
特別ではない一般の人の場合、外見などを若く保つことは、無駄なのでしょうか。
こういう議論は、美容、健康、生きがい、世間の価値観など、
アンチエイジングに関する範囲が広すぎて、不毛になると思っています。
アメリカの編集長のコメントは、記事だけ見るかぎり、「歳をとった女性を差別的に見ないで欲しい」というメッセージのように感じ取れます。
それは、ある程度の歳になった女性なら、感じますよね。
この間、ヒドイ!と思ったことがあって、
ユーチューブで、50代と思われる女性が、撮影などに使える照明器具を、組み立てて、実際使ってみる、という商品レビューをやっていました。
仕事が出来そうな女性が、テキパキと解説していて、とてもわかりやすかったのですが、
なんとそのユーチューブのコメント欄に、ひと言「ばばあ」と書いているのがあったのです!
レビューの内容ではない、ヒドイ話ですよね。
そういう見方しか出来ない人がいるのも現実。
若い = 最高 の考えだと、年をとるにつれ劣化していき価値がなくなってくる。
編集長は、そんな世間に対して、「若いことばかりにこだわるな」というメッセージを出したんですね。
これは、日本でも考えるべき問題ですね。
わたしが考える「よい歳の取り方」とは、
肌、髪など外見は、生き物の宿命で衰えてくるが、見苦しくならないように、身ぎれいにする努力をしていること。
その一つは、おしゃれ。
頭が衰えてくるのも自然だけれど、何も新しいことを学んでいかないと、頭が進化できない。
年とっても魅力のある人は、好奇心があったり、いくつになっても学んでいる人。
そういう人は、若い時から進化し続けているので、歳はとっても魅力のある人になる。
アンチエイジングは、美容の側面が強調されるけれど、過激なのは論外として、
いい意味で年齢に流されないで、若くいようと努力するのは、本人にとっても、周りの人にとってもよいことだ、と思うのです。
ただし、現実は非情で、落ち込むこともありますが…
あー、なかなか大変ですね♪
参考:朝日新聞デジタル・アンチエイジング「もう使わない」米女性誌が宣言(2017年8月17日)
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